novel


『魂の船』


   1


 有人探査船の遭難というものは、悲劇である。
 宇宙空間における人間の活動範囲は拡がり、単純な探査だけでなく、資源の採掘なども積極的に行われるようになっている。別の天体への大規模な移住も、近い将来の計画として語られ始めている。しかし、宇宙航行の手段に飛躍的な発達があったわけでもなく、宇宙空間での労働も、遠隔操作のロボットに総て任せられるわけではない。それが、現実というものであった。
 有人の船に重大なトラブルが起これば、人が死ぬのである。
 CP208という登録コードだけで呼ばれる、この船においても、同じである。

「CP208!」
 小型の作業艇の中で、アラン・ケイジは叫んだが、船の中で起こっている事態が深刻なものであることは分かった。業務マニュアルの中で、重大な危機に入れられているものの一つだ。しばらく、スピーカーから悲鳴が聞こえた後、誰も答えなくなった。それが、そのことを説明していた。
 船体の損傷による、乗員の全滅。
 以前、CP208は、小惑星との衝突を避けたことがあった。そのため、緊急に進路の修正も行った。慣性による高速航行中に、ブレーキをかけたり、急激な針路変更を行えば、船体には、大きな負担がかかる。中サイズの船にとって、フレームや連結部の歪みは、重大な結果につながる。
 CP208は、古い船ではなかったが、一般的な中距離クルーザーである。戦艦でもなければ、高速船でもない。宇宙船というのは、もろい物なのである。
 まず、メイン・エアルームの密閉が損なわれた。そして、全体の歪みにより、張り出した部分が慣性で船体を引き裂くように動いてしまった。いくつかの回線が断絶した。それらが立て続けに起こったため、乗員の対応が間に合わなかった。
 その時、アランは独りで、作業艇の中にいた。空間に漂うゴミ(スペース・デブリ)を、進路からどける作業をしていた。

 応答がなくなり、CP208は、まるで脱け殻のようだと感じられる。居住区の回転も止まっている。
 アランは、CP208に、回収のための信号を送った。
 ケーブルが引っ張られ、作業艇はCP208に近づいていく。
 まばらに灯ったままの明りが、アランに寂しさを感じさせた。
「全員死んだとは、限らない」
 そう考えたが、外から見ることができる様子からは、期待する材料は得られなかった。乗員が分散していて、全滅を免れることができれば良かった。居住区で休んでいた者でもいれば良かった。しかし、全員が、起きて仕事をしていた。CP208は、最小限の乗員によって航行していた。一つの探査のために、人員も費用もさけないのが、現実なのだ。そして、小さな宇宙船にとっては、軽いことも重要なのである。
 CP208の格納ハッチがはっきり見えてきた。
 船体の裂けた部分を見ると、外装が薄い物でできているのが判る。
 機材などが、こぼれ出している。人の姿が浮いているようにも見えるが、遠くて確認できない。
「誰か、宇宙服を着ていなかったのか?」
 そう思ったが、望遠レンズを使う気にはならなかった。
「間に合わなかっただろうな…」
 それに、無駄に使う空気も無いから、空間活動の装備をしていたのは、アランだけだったと思われた。
 静かに、作業艇はCP208の中に回収された。
 格納庫に入ると、すぐに明りが灯った。
 ここでは、電力の回線が生きているらしい。アランは、電源の位置を思い出そうとした。
 壁に貼ってある非常用の指示を読む。普段使うのとは別のレバーを動かした。そして、隔壁を先に開け、それから、出入り口を開けた。
 気圧が合っていないので、廊下から格納庫に空気が流れ込む。すると、人間が一人、格納庫に漂ってきた。その乗員は、死んでいた。死因は窒息だと思われた。
 宇宙服のまま、船内に入らなければならない。
 アランは、ゆっくりと、廊下へと身体を流す。
 船室の方が、薄暗い。
「…駄目だ。手動で動かさないとならない部分が多そうだ」
 電動の部分が大部分使えなくなっただろうと、予想がついた。
 廊下の曲がり角で、4人の乗員が壁に張り付いている。彼らは、宇宙服にたどり着く前に死んだようだ。
 船室と廊下は、隔壁で隔てられていた。それを、手動で開けた。アランは、少し汗をかいた。
 メイン・エアルームに繋がっている船室は、全滅だった。生きている人間はいなかった。通信室も同じであった。
 操縦室は、張り出した構造になっていて、それが、根元から折れ曲がっていた。
 観測室は、より酷かった。折れ曲がった操縦室が、観測室を潰してしまっていた。
 アランは船内をくまなく捜したが、生きている人間を見つけることはできなかった。


   2


 メイン・エアルームにある集中制御室で、CP208の操縦はできる。航行を続けることは可能だ。もちろん、残っている推進能力だけを使って、である。コンピューターにコマンドを入力して、新しい計算をさせた。
 時間はかかるが、目的地までたどり着くことは可能であるようだ。引き返すことの方が、不可能であった。破損した船体で、大きな針路変更はできそうにない。
 空気のタンクと食糧の残りを確認する。アラン一人のためには、十分な量がある。密閉ができる部屋も、いくつか残っていた。
 航行を続けることにした。

 CP208の船体は、船の形をとどめていなかった。破損してぶら下がっていた部分は、何時の間にか無くなってしまっていた。
 進む角度が修正されるたびに、ちぎれたようだ。
 宇宙空間で、空気抵抗があるわけではないのだから、そのまま慣性で付いたままでも、おかしくないように思えるが、そういうことではないらしい。まず、複数の推進ノズルで船体を押しているわけで、力には角度とムラがある。そのこともある。

 目的地は、宇宙開拓用の宇宙ステーションであった。そこで、物資の積み替えと、探査の報告をする。その予定であった。
 そこまでにかかる時間は、正確には判らない。
 地球との連絡は取れない。電波でもレーザーでも、直線上に障害物が無いことが、確実な通信の条件である。
 アランは、生き残ったことを喜びつつも、孤独に堪えることにつらさを感じていた。

 目的地に到達するまでCP208が通過する宇宙空間については、詳しいデータは無い。
 人類の認識している領域の間にある、中間領域である。
 詳しいことが判明していないだけで、宇宙船が通ることもあるから、特別に危険な領域というわけではない。しかし、アランの不安は、より酷くなった。
 漂っているゴミも、滅多に見なくなった。
 人類の支配下に入っていない領域。
 ただ一人で、そこを行く。

 CP208は、奇妙な塊のような姿で、飛び続けている。
 コンピューターとのやり取りだけでは、孤独のつらさを紛らわせることはできない。
 はじめの頃、アランは、目立った天体を見かけると、望遠鏡で眺めたりしていた。しかし、一度、一つの惑星を見ていた時、そのガスの大気の揺らぎを見つめていて、彼は目まいを感じた。その時、ひどい恐怖を感じてしまった。それ以来、彼は望遠鏡を使うのを控えるようになった。
 アランは、独り言を言うクセがついた。だが、それも、何時の間にか無くなった。
 星空が広がる景色だけを見続けることは、実は、人の精神にとっては、つらいことなのかもしれない。アランは、CP208のシルエットを眺めて楽しむことを思いついた。しかし、それも良い考えではないことが、すぐに分かった。
 居住区のドラムが、壊れたメリーゴーランドを連想させた。
 どうしても、寂しさを増すようなイメージばかりを見つけてしまうのだ。
 アランの心は、孤独の中に沈み込んでいった。

 もう何年も経ったのではないかと、疑う。
 コンピューターの計算は、本当に合っているのだろうか。画面上の表示は、正しいのか。ずいぶん前から、日付か変わるのが遅くなったような気がする。コンピューターが壊れてしまったのではないかと、疑う。
 もう、十年経ったに違いない。顔も老けたような気がする。
 百年、飛び続けている気がする。


   3


 何かが接近してくるのに気がついた時、それは小惑星だと思った。大きな物ではなく、気づいた時には、既に目視ができたからだ。
 しかし、アランの眼には見えているのに、コンピューターは反応しなかった。自動回避が行われない。
 アランは慌てて、手動で回避を始めた。
 こののままでは、物体は、CP208と正面から衝突する。
 即座に針路変更することは不可能だ。回避のための行動としては、まずは、減速しか無い。
 アランは必死で、コンピューターに指示を入力する。
 逆噴射が始まった。慣性で、アランは壁に叩きつけられた。
「向きを変えなければ…!」
 アランは、コンピューターにしがみついて這い上がる。
 すると、物体に奇妙な変化が起きた。
 急速に近づいて来ていた物体は、減速し始めたのだ。
「何だ!?」
 物体とCP208の相対速度が、急激に下がった。
 そして、ついに、CP208と物体は、停止した。物体が、もう目の前に見える距離だ。
 それは、宇宙船のように見える。

 その船は、通信に答えなかった。
 アランは、作業艇に移った。
「あの形、見覚えがあるぞ」
 生きている人間に会える。うれしさを感じて、彼は少し興奮してきた。
 せかすように、作業艇を船に近づけていく。
「…そうか。これは、CP208と同じ型の船だ」
 たしかに、CP208と同じ形をしている。
 アランは、すぐそばまで接近した。
 まだ、船から応答は無い。続けて、乗船の許可を求めたが、やはり、返答が無い。
 作業艇は、船に接触した。
 外壁に沿って、出入り口を探す。同型なら、構造は判る。
 正面にある、貨物用の格納ハッチに向かう。
 乗組員が気づいてくれることを、期待した。
 ハッチに接触した。中からの通信は入ってこない。アランは、外から開けるための操作パネルを探す。
 すると、ゆっくりと、ハッチが開き始めた。
「招き入れてくれるのか?」
 アランは、静かに船内に入っていく。
 ハッチが閉じる。そして、隔壁が下りて、密閉された。気圧が上がっていく。
 アランは、作業艇を降りた。
 薄明かりの中、船室につながる通路へと、身体を流す。
「何だ? …懐かしさを感じる」
 アランは、奇妙な感覚に、とらわれていた。
 そして、辺りを見回す。
「何だ、これは?」
 その壁面には、CP208と書かれている。
 この船は、事故の前のCP208なのだろうか。
「俺は、夢を見ているのか?」
 そうとしか考えられない。
「まるっきり、現実にしか思えないが…」
 この船は、実在する物のように感じられる。何もかも、現実に起こっていることのように感じられる。
 恐怖を感じるわけでもなく、アランは、このまま奥へと進むことにした。
 通路の先は、とても明るい。
 広い通路を、明りに向かって漂っていく。アランは、奇妙な懐かしさを感じていた。
 光が、宇宙服を通り抜けて、身体に染み込んでいく。そう感じる。頭のてっぺんから、つま先まで、ゆっくりと光が染み渡り、温められていくようだ。
 明るい空間が広がっていた。
 アランは、ゆっくりと着地した。
 彼は、呆然として立ち尽くした。
 どういうわけか、目の前には、農村の風景が広がっている。
 アランは、また奇妙な感覚にとらわれた。
「何だか、懐かしいな…」
 アランは、一つの農場に足を踏み入れた。
「そうか、ここは…」
 牛の鳴き声が聞こえた。
 牛小屋の臭いがする。そして、つらい思いのようなものが、アランの中に湧き起こってきた。
「ここは、おじさんの農場だ。5歳まで、俺は、ここにいた」
 幼い頃、父親の転勤などが理由で、アランは伯父の農場に預けられていた。
 近所には、アランと同じ年頃の子供がいなかったので、アランは寂しい思いをしていた。そして、幼いアランも、農場の仕事を手伝わなければならなかった。
 アランは、よく牛の世話の手伝いをさせられた。伯父の農場には、牛が多かった。昼間、牛を外に出してから、牛小屋の掃除をしたり、餌の仕込みをしたりするのが、大変だった。そして、アランは、牛の臭いが好きではなかった。
 働いて、汗をびっしょりかいて、疲れてそのまま座っていると、濡れた身体が冷えて、風邪をひきそうになる。だから、急いでシャワーを浴びる。そういうことが、とても慌しいと感じられた。アランは、毎日、くたくたになっていた。
 アランは、両親が迎えに来るのを待っていた。
 幼いアランには、農場の外に出ることから、何もかもが始まると思えていた。
 世の中も、未来も、農場の門の外にあった。
 やがて、成長したアランは、学校を卒業してすぐに、宇宙船の乗務員になった。それまでの日々は、過ぎてから振り返ると、ほんの一瞬の出来事だったように思えた。
 目の前に、CP208の船室がある。
 ドアを開けて、中に入る。そこは、光に満たされていた。
 重力は無いようだ。
 死んだはずの乗員たちが、生きていて、働いている。
「みんな、ここにいたのか」
 同僚たちは、アランの方に振り向いた。
 主任は、かなり離れた所にいた。少し仲が悪いだけで、これだけ距離ができてしまうということに、アランは驚いた。
 奥に、船の中心部へと続くドアがある。それが、開いている。
 アランは、中心部へと向かう。
 先は、暗闇のようだ。
 周囲の壁が無くなり、何も無い空間が広がっている。
 一瞬、アランは、恐怖を感じた。
 その時、目の前に星々が広がっていることに気がついた。
 そして、彼の顔を、青白い光が照らす。
 目の前に、地球がある。
 青い地球で、多くの人々と生き物たちが生きている。地球上の総ての生命が、活動しているということが、感じ取れる。
「そうか。俺たちは、何時でも帰ることができたんだ」
 何故、人類は地球を離れたのだろう。そう思った。

 深い処で、総ての魂は共に在るということを、アランは理解した。
 孤独ではなかったのだということを知って、彼は安心した。


(了)

 Shah Roushanan



※ Webサイトでの掲載は、2007年10月。執筆は、以前に。



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